2013年12月10日火曜日

アラビア語の祈りだって・・・ تفاؤل في إيصال جمال الإسلام



アルハムドゥリッラー、先日11月22日はとてもよい経験をさせていただきました。
日本が世界に誇る富士山を背景に約1000人もの人たちの前で
クルアーンの読誦とアラビア語日本語による祈りを捧げることができたからです。

加えて神道、キリスト教、修験道、仏教、チベット仏教といった各種様々な祈りを目の当たりにすることができたのも、大きな学びとなりました。

中でも強く感じられたのは、いわゆる祈りの文言の多くは古来一般の日本人にとって
言い方はよくないかもしれませんが「わけのわからない外来語」がほとんどであるにもかかわらず、
多くの日本人の心に響き、ありがたいものと重宝されてきたのだなぁという改めての発見を通して
「ならばアラビア語の祈りだって十分通用するはず!」という思いでした(^_^)

 
الحمد لله، لقد أكرمني الله عز وجل بخبرة مفيدة نادرة
عندما شاركت باجتماع الدعوات للسلام العالمي في شيزوأوكا "نيهون دايرا" الذي
اجتمع فيه مئة رجال (ونساء) الديانات المختلفة من البوذية والشنتووية والمسيحية وغيرها مع حضور 900 مستمع أمامنا
 
قدّمنا نحن المسلمون تلاوة القرآن الكريم وبعض الدعوات باللغتين العربية واليابانية
ويبدو أن الله تبارك وتعالى فتح الكثير من قلوب الناس وأشعرهم بجمال القرآن الكريم وجمال اللغة العربية وعلمت ذلك عندما تلقيت كثيرا من أقوالهم إنهم لم يستمعوا إلى مثل ذلك الصوت الجميل ولله الحمد
 
مما شعرت وتعلمت من مشاركة هذه المناسبة فهو اكتشافي بشكل جديد أن معظم كلمات ومناجات الدعاء لدى الديانات المختلفة المنتشرة في اليابان أصولها لغات أجنبية أو كلمات قديمة غير مفهومة فذلك يعني أن الأذكار والدعوات الإسلامية باللغة العربية أيضا لها قابلية قبول الناس في اليابان أيضا! فعلينا التفاؤل والعمل بنشر هذا الجمال الرباني



2013年6月6日木曜日

حلاوة اللغة العربية

حلاوة اللغة العربية وأهمية تعلّمها للمسلمين الجدد

أول ما ساعدني في استشعار قرب الله تعالى
هو نداءه باسمه تعالى "يا الله" لما كنت أناديه من قبل "كاميساما" باليابانية

إنّ اللغة العربية لها سر عظيم لتقرب دارسيها إلى محبة الله تعالى ودينه القويم بنية التقرب فحياتي تشهد على ذلك ولله الحمد والشكر - لا شك أن هذا الشعور بقرب الله تعالى مني هو شعور من طرفي ولا أدعي بقربي منه تعالى فخراً

وعندما ألتفت إلى عظمة فوائد اللغة العربية في هذا الشأن دائما أتذكر قدر الفرح الذي شعرت به لمّا تعلمت مجرد كلمة "هو" حيث المعنى قد صار واضحا عندي لقوله تعالى "هو الله"... هذه البساطة ولكن عظيم النفع

فيا أيها الإخوة والأخوات الناطقين باللغة العربية، لِمَ لا تنفقون زكاة العلم والعطاء الرباني منذ الولادة عبر تعليمها بأيديكم لإخوانكم من عجم؟!

من أسوء شيء وأكبر شيء حزنا فهو سماع أحد إخوة العرب يعتز بإتقانه في لغة أجنبية له دون الإلتفات على ضعفه في العربية، لغة القرآن، لغة الكنز!!

2013年5月7日火曜日

ICOJタルビヤキャンプ2013 ヤングムスリムへの激励 تشجيع الشباب في المخيم التربوي

5月4日土曜日の夜、イスラミックサークル オブ ジャパン主催タルビヤ・キャンプ1日目、ヤングムスリム部門でのお話模様…まだまだ私も社会人七年目と見習いの身なのでおこがましい気もしますが、「日本社会で通用するムスリムになるために」という演題でお話ししました。

励ましとちょっとした脅しを交えながら、日本社会のルールを守りつつ、中でも礼儀を重んじながら、母語である日本語に力を入れ、バイリンガルであることや国際感覚といった強みを生かすよう諭し、これからは君たちの時代だから基本は大事にしつつも新しい試みをしていって欲しいこと、世界を変え、復興を遂げるのはいつも若者だということを強調して彼らを鼓舞しました。
アルハムドゥリッラー、まぁそれなりに聞いてくれたようです(^_^)

في اليوم الأول من المخيم التربوي الذي قامت به الحلقة الإسلامية باليابان بين ٤-٥ مايو وهذه صورة من صور محاضرتي المتواضعة عند قسم الشباب تحت عنوان "لكي تكونوا مسلمين قادرين على التأقلم والنجاح في المجتمع الياباني" ومزجت في كلمتي بين التشجيع والترهيب وركّزت على أهمية إحترام العرف الياباني ولا سيما الأدب في كل شيء وأهمية التقوية والتمكن في لغتهم الأم اليابانية مع الإستفادة مما لديهم من المواهب الخاصة مثل المهارة في أكثر من لغة واحدة ومعاملاتهم الطبيعية مع كل الناس بغض النظر عن إختلاف الأصل كالمسلمين فشجعتهم بأن المستقبل على أيديهم والتغيير والنهضة دائماً بأيدي الشباب أمثالهم...أسأل الله تعالى أن يهدينا وإياهم واجعلهم حملة راية الإسلام في اليابان المشرق

2013年4月30日火曜日

【昔の日記】2000年5月下旬シリア到着後まもなくの日記

アッサラーム アライクム。
以下、2000年5月下旬にシリアのダマスカスに着いて数日後の日記です。
スブハーナッラー、あのシリアが今や内戦で悲惨な状況にあるとは、穏やかだった日々を思い出す度に信じられない気持ちになります…主よ、一刻も早くシリアの人たちが安寧を取り戻せますようお助けください。

****** 転記 ******


慈悲深き慈愛あまねくアッラーの御名において

2000年5月30日(火曜日)シリア・ダマスカスにて

 アルハムドゥリッラー、25日(木曜日)にダマスカスに着いてから、もう5日目になる。ジャバさんの伯母さん宅でお世話になっているわけだが、ほとんど不自由なく居候させていただいている。本当なら一度大掃除でもしたいのだが、掃除機もないところで余分な体力を使うのもどうかと、結局は面倒臭がっている自分とで何とか折り合いを付けているといったところか…。
 ジャバさん一家をはじめ(特にMさん)、伯母さんには本当によくしていただいている。結構お年を召されていて、あれこれ動くのは大変なはずなのに、食事、洗濯とお世話になりっぱなしだ。(いつでも自分で全部する心づもりはあるのだが、何も言わずにやって下さっているのでつい甘えてしまっているようである。)願わくは、お優しいアッラーが彼女に溢れんばかりの報奨をお与え下さいますよう心から祈りたい。

 さて、まずはこうしてイスラームをきちんと勉強する機会を与えてくださったお優しいアッラーに感謝しよう。思えば14歳の頃、結局は断念したが、一度は本気で出家を志してから、丸10年の歳月が経とうとしているわけだ。
 森羅万象を司る真理真実が知りたい、という純粋な知的好奇心に突き動かされて、悟りを目指して日々学びの道を歩むことに憧れた当時の自分だったが、七転八倒の紆余曲折の後に、どうやら再び僕はまた己の原点に戻ってきたようである。
 真理なる御方が自らを表現されることで始まった世界のうちに完成されたイスラームを学ぶ、人類への導きとして確立された壮大かつ深淵なるイスラームを学ぶことは、先が見えないけれども強烈に惹かれた悟りへの旅路に似て魅力的である。
 ただ一つ大きな違いがあるとすれば、原点回帰した現時点での僕の足元には「アッラーのほかに如何なるチカラも存在せず、我々はかれのもとより来たりて、かれのもとに帰り行く」という「悟り」の土台があることであろう。チカラそのものになるための歩みではなく、チカラの一部を享受し、それを還元するための歩みとでも言えようか…。願わくは、至高なるアッラーが僕に初志貫徹し得るだけの強さをお与え下さいますように。

 正直なところ、「少しでも時間を有効に」と思う気持ちが強いことから、少々焦り気味の日々を送っていると言ってもいいかも知れない。時間を惜しむ気持ちは大切だと思うが、惜しみ過ぎて緊張の糸をいつも張り詰めていては身体が持たないだろうから、もう少し気長に構えた方がいいのだろう。「石の上にも三年」、「継続は力なり」をモットーにこつこつと積み重ねの勉強をしていくしかあるまい。
インナッラーハ マアッサービリーン(アッラーは耐え忍ぶ者たちと共におわします)。



経過報告…2000年5月27日、28日、30日―タジュウィード各1時間
(A.J先生)



【昔の日記】2005.9.11

アッサラーム アライクム。
以下、2005年9月12日に書いた「2005.9.11」というタイトルの日記です。
 
******* 転記 ******

世界の一部の人たちが、4年前の惨事で亡くなった故人たちの冥福を祈り、悲しみに涙する一方で、同じ世界のまたほかの一部の人たちが、新たな家庭の誕生を祝う結婚披露宴で新郎と新婦の前途祝福を祈り、喜びに涙する機会に同席した。

 シリアでも名家とみなされる学者一家の結びつき、新郎新婦二人とも聖なるイスラーム学の学徒ということで、大勢のウラマーゥ(学者先生たち)が出席した披露宴であった。もちろん、結婚披露宴といってもムスリムのそれと欧米風、あるいは日本風のそれとは全然違う。男は男で、女は女で祝いの席を別に設け(そのほうが邪まな感情は入り込まない)、男たちの席ではインシャードといったいわゆる宗教歌(アッラーと預言者さまを讃美する歌の数々)に耳を傾け、しばらくした後に学者先生たちのお話に耳を傾けるというものである。(その間、飲み物やお菓子が運ばれるが、会食がメインというわけではなく、あくまでもおめでたい席で共に信仰を一新する機会といった観が強い。)

 テスト勉強で忙しくしていなければいけないはずの僕も、まずは招待に応じるという預言者さまのスンナ(慣行)のつもりで、そして普段はお会いできないような大物揃いの学者先生たちを「見ることで」刺激を受け、お話に耳と心を傾けることで、知的心的向上を望んだからの出席であった。


 ところがそこで、思わぬ試練と出くわすこととなる。
 その名家のお屋敷に着いて間もないころ、会場の隅っこのほうで座っていると、失礼なお手伝いの人間から、「あなたはドクトール(博士)ですか?」と聞かれたことがあった。
そこで「いえ、ドクトールではありません。」と答えると、あからさまに「じゃあ用なしだ」といった素振りをされたため、「ムスリムにドクトールもくそもないだろ!アッラーの御許で最も尊いのは、最も敬虔な者のはずだ!」と怒り心頭。<`ヘ´>
 
かなり気分を害されたが、ぐっとこらえて「忍耐は最初が肝心(最初の衝撃のときにこそ、その真価を発揮)」という預言者さま(祝福と平安あれ)のお言葉を何度も心の中で繰り返しつつ、「でも屈辱を感じるのは、僕が驕っている証拠。本当に自分はなんでもないと分かっていたら、どんなに無礼な振る舞いも屈辱とは思わないはずだ…」と大いに反省させられたのであった。(>_<)

 では辛い思いをし、反省させられただけの出席だったかといえば、そうではない。

إنّ مع العسر يسرا

「インナ・マア=ル=ウスリ・ユスラー(苦難とともに、安楽はあり)」とアッラーの御言葉にもあるように、お優しきアッラーはしもべの脆い心を美しいカスィーダ(アラビア語の詩)の一節で癒してくださったのである。


 おまえの存在を楽にしてやれ
 もろもろの存在を気にすることから

 そしておまえの主に帰るがよい
 過去についても 未来についても


أرح وجودك من همّ الوجودات

وارجع إلى ربك عن ماض وعن آت

 
まるでアッラーが僕のためにその詩を聞かせてくれているかのようで、全身を揺さぶるアラビア語特有の美しい響きとともに、僕の心にはその詩の魂が沁みわたってゆくのだった…。

 そう、アッラーがいてくだされば、
 ほかには何もいらない。
 だれもかれも、すべては消えうせるが、
 アッラーだけは永遠に生き続けられるのだ。
 しもべの胸中を知り尽くされる御方、
 アッラーにこそすべての称讃あれ。
 そして、至高にして誰よりもお優しきアッラーに想いを寄せるすべての人たちに、祝福とお導きがありますように。







同じ時間を過ごすという恵み Blessing of spending the same time

アルハムドゥリッラー、アッラーのおかげ、それからアッラーが遣わしてくださった素晴らしい兄弟たちのおかげで、無事にあの世のための出稼ぎ仕事(4/27福岡、4/28別府への出張講義)を終えられました(^_^)
最終日4/29ファジュル礼拝あとの海辺散歩は実に清々しく、楽しかったです(^_^)

Alhamdu lillah, with Allah's Mercy, then all the help of His wonderful servants as my dear brothers, my work trip (Fukuoka April 27, Beppu April 28) for the Hereafter (volanteer for this world) ended safely.

Alhamdu lillah, the morning walk after praying Fajr (Last day April 29) was so refleshing and joyful(^_^)

海辺を散歩したのは短い時間ではありましたが、確実に一緒に歩いた兄弟らとの親近感を深めることができたのではないかと思います。スブハーナッラー、サハーバが預言者ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)と同じ時間を過ごしたからこそサハーバとなられたことといい、改めて絆を強めるうえで同じ時間を過ごすことがいかに大切かを実感しました。

さて、ビイズニッラー、これからまたしばらくは、アッラーからの贈りもの、預かりものとして誰よりも大切な自分の家族との時間を意識して大事にしたいと思います!(^_^)

Alhamdu lillah, although it was rather short time to walk along the beach, I felt it really worked to strengthening our brotherly bond between us. Reflecting the very fact that our role models Sahaabah (R.A.) did become Sahaabah through spending the same time with the Messenger of Allah (S.A.W.), spending the same time is so important to have stronger bond between people.

Now, Biiznillaah, it's time to cherish my time with my family who are the special Gift (Hadeeyah) and Trust (Amaanah) from Allah!(^_^)

2013年4月5日金曜日

ハサン・バスリー師の名言 كلمة مفيدة لسيد التابعين الحسن البصري

慈愛あまねく慈悲深きアッラーの御名において

サイイド=ッ=タービイーン(サハーバに従った人々-預言者さまから見て孫弟子にあたる-の長)として知られるアル=ハサン・アル=バスリー師がある人から尋ねられました。

「あなたの幸せの秘訣は何ですか」と。

師は答えて曰く、
 
「四つある。

わたしの糧はわたし以外の者が手にすることはないと知って、
心が安らいだから。

またわたしがなすべき仕事は、
わたし以外の者がすることはないと知って
自分の仕事に従事するようになったから。

さらにアッラーがわたしのことをご覧になっていると知って、
わたしが罪を犯すところを見られるのを恥じたから。

そして死がわたしを待ち構えているのを知って、
アッラーとのご対面のために旅支度をしたから。」

سُئلَ سيّد التابعين تقيّ الدين الحسن البصري رحمه الله

يا تقيّ الدين، ما سرّ سعادتك؟

قال: أربعة أشياء

علمت أنّ رزقي لا يأخده غيري فاطمئنّ قلبي

وعلمت أنّ عملي لا يقوم به سواي فاشتغلت به

وعلمت أنّ الله مطلع عليّ فاستحييت أن يراني على معصية

وعلمت أنّ الموت ينتظرني فأعددت زادي للقاء الله
 

الإسلام والمسلمون في اليابان بنظرة مسلم ياباني - البند الثاني

الإسلام والمسلمون في اليابان بنظرة مسلم ياباني


البند الثاني: الدعوة الفردية – تعريف بعض الدعاة المعروفين




هنالك بيت شعر اتخذته مشجّعا لي منذ ما سمعته
عندما علمني بعض الإخوة الأفاضل من الشام – فرّج الله أهل سوريا جميعا- إذ يقول شاعر ما

كان غيثنا قطرا ثم أمطار وأنهار
كان رسول الله يدعو وحيدا بين كفّار




كما كان لمثل تركي أثراً مشجّعاً أذكره عندما أقترب إلى الحزن واليأس إذ يكون المثل التركي عند ترجمته

بدلا أن تلوم على الظلام، أشعل أنت نفسك ولو على شمعة واحدة

إنّ الله تبارك وتعالى قد منّ علينا بأعظم النعم، نعمة الإسلام والإيمان بالله تبارك وتعالى وبرسوله الكريم صلى الله عليه وسلم والدين الذي جاء به ولله الحمد والمنة. والناظر إلى مدى نعمه العميقة لا يمكن أن يقف عنده ويتمتع وحده دون أن يشعر بأنّه يريد أن يتحرّك ويبلّغ هذه الرسالة الخالدة إلى الأقربين أولا والناس أجمعين أخيراً فمن هذا الدافع الذاتي وما شابه ذلك كان من قبل وما زال داعية فردية يدعو الناس إلى الإسلام بادئاً من عنده ثم الأقربين والأقربين بغض النظر عن أفضلية وأولية جهد فردي أو جماعي فأحب أن أذكر بعضا من هؤلاء الدعاة العاملين لا سيما الناطقين باللغة اليابانية لأنّ التمكن من لغة القوم المدعو عامل ضروري لنجاح وتفعيل الدعوة وأحاول عند ذكر هؤلاء أن أذكر محاسنهم والمدح في أعمالهم الطيبة ولا أزكي على الله أحداً وذلك مخالفا على نفسي الأمارة بالسوء الذي تحب النقد على الآخرين




مع الشيخ سليمان هاماناكا ونجله الأخ عطاء الله


الأستاذ الشيخ سليمان آكيرا هاماناكا
إنّه بسم الله ما شاء الله قد أسلم في بداية العشرينات من عمره وبعد تخرجه من جامعة أوكاياما ذهب ودرس في عدة بلدان مسلمة مثل مليزيا ومصر وليبيا وما شاء الله أنّه درس في الثانوية الشرعية لدى مليزيا فلذلك أتقن اللغة الماليزية بالإضافة إلى اللغة العربية حيث التخرج وتكميل دراسته الشرعية لمدة سنين أكثر من عشر سنوات كان في ليبيا بكلية الدعوة هناك




وقد توظف بعد عودته إلى اليابان عند محل بيع أدوات رياضيّة لوالده في مدينة نيهاما بجزيرة شيكوكو وأصبح مديرا له خليفةً لوالده بعد ذلك ومن هنا انطلق عمله الدعوي على سبيلين: سبيل في ترويج رياضة كرة الريشة في شيكوكو وسبيل في تأسيس وتفعيل موقع إسلامي باللغة اليابانية على شبكة إنترنت. بسم الله ما شاء الله إنّه رائد في كلا المجالين إذ يجيد بكرة الريشة مثل المحترف عليها وأنهض جمعية كرة الريشة بشيكوكو وأصبح رئيسا لها لمدة طويلة بينما زار الكثير الكثير موقعه الأول من ناحية السبق وعدد زواره وتأثيره وقد أسلم عشرات اليابانيين عبر الحوار معه ومع المشاركين فيه ولله الحمد

ما شاء الله، لديه ابنان وابنتان وقد كبروا جميعهم وابنه الثاني أخونا عطاء الله يدرس حاليا في مرحلة إعدادية لدى جامعة الإسلامية العالمية بمليزيا وفرحت كثيرا بلقائه ولا سيما عندما رأيته صاحب همّة لمتابعة دراسته الشرعية ليكون داعيا إلى الله تعالى بعد عودته إلى اليابان بإذن الله فأسأل الله تعالى أن يوفقه لما يحبه ويرضاه




الشيخ سليمان هاماناكا صاحب خلق ولطف وتواضع لا يميزه الناظر إليه أنه من كبار الدعاة من شكله الخارجي حيث لباسه عادي وتصرفاته طبيعية ولكنه عندما يتكلم عن الإسلام يتكلم بكل ثقة مع العلم والخبرة

والجميل فيه أنه يواصل ويرحب الجميع في التعاون على البر والتقوى كما يشجّع الشباب والصغار أمثالي بدعمه المعنوي ومهارته الإعلامية عبر موقعه




والنادر فيه أنه عالم دارس للعلوم الشرعية وفي الوقت نفسه رياضي صاحب روح الشباب بينما الكثير من الدعاة في اليابان يميلون إلى الاعتناء العلمي فقط والآن علمت السبب في اختياره أولا عند تعريف الدعاة قبل الآخرين لأن الشيخ سليمان هاماناكا هو الأقرب في نظري بينهم إلى رسول الله صلى الله عليه وسلم الذي كان جامعاً بصفات القدوة الحسنة في المجالات أجمع حيث الشيخ سليمان هاماناكا – حفظه الله – عالم عامل نشيط رياضي متواضع أب مربّي زوج كريم أخ لطيف داعية واسع الصدر رافع الهمة ونحن المسلمون في اليابان بأمسّ الحاجة إلى أمثاله قدوة حسنة حيّة بأرض الواقع من أجل التقرّب إلى القدوة الكاملة بين البشر والخلق أجمع رسول الله صلى الله عليه وسلم فأسأل الله تعالى أن يحفظ أستاذنا الشيخ سليمان هاماناكا ويبارك له في علمه وعمله وأهله وسعيه دائما


مع نجله المتواضع أخي الحبيب عطاء الله في جامعة الإسلامية العالمية بمليزيا - أكتوبر 2012


2013年4月4日木曜日

الإسلام والمسلمون في اليابان بنظرة مسلم ياباني - البند الأول

Islam and Muslims in Japan from the eyes of a Muslim Japanese - Arabic Part 1









بسم الله الرحمن الرحيم

وبه نستعين آمين


إنّ الحمد لله رب العالمين وأفضل الصلاة وأتم التسليم على المبعوث رحمة للعالمين سيدنا محمد وعلى آله وصحبه ومن تبعهم بإحسان إلى يوم الدين، أما بعد

إنّه من دواعي السرور والبهجة أن أكتب ملخّصاً عن الإسلام والمسلمين في اليابان اليوم مما رأيته وسمعته إلى الآن ومدى تطور النشاطات الدعوية

ولا سيما عند المقارنة بين الوضع الحالي وبين الوضع الماضي قبل تسعة عشر سنة منذ اعتناقي بالإسلام ولله الحمد


أما النقاط التي أحب ذكرها والمناقشة عليها نحو الخير والأفضل فهي كالتالي

البند الأول: بعض التطورات والتغيرات التي لمستها في ساحة الدعوة والإرشاد باليابان

البند الثاني: الدعوة الفردية – تعريف بعض الدعاة المعروفين

البند الثالث: الدعوة الجماعية – تعريف بعض الجمعيات أو الجماعات الإسلامية المعروفة

البند الرابع: بعض التحديات التي يواجهها المسلمون الوافدون إلى اليابان

البند الخامس: محاولات لاقتراح الحلول أو أسباب الحلول

البند السادس: بعض التحديات التي يواجهها المسلمون اليابانيون

البند السابع: محاولات لاقتراح الحلول أو أسباب الحلول

البند الثامن: تصورات ورغبات للمستقبل المنشود


الرجاء ممن يتفضل لقراءة هذه الكتابة فهو الدعاء على ظهر الغيب لانتشار هدي الإسلام وتوطينه في اليابان
والدعاء الخاص لهداية والديّ ووالدي زوجتي
وجميع آباء وأمهات أمثالنا وجزاكم الله خير الجزاء.
كما أود أن ألتمس منكم العذر والمسامحة في لغتي الضعيفة وقلة قدرتي في ذكر كل الدعاة والجمعيات
بسبب عدم معرفتي بهم


البند الأول: بعض التطورات والتغيرات التي لمستها في ساحة الدعوة والإرشاد باليابان

من المعلوم من قبل أنّ المقبلين إلى الإسلام من أهل اليابان أكثرهم النساء
وقلة الرجال أمر دائم لا تطور مع الأسف الشديد

ولكن الذي يسرني ويسر الجميع فهو نمو وازدياد عدد الأخوات اليابانيات النشيطات في مجال الدعوة
التي تشمل التربية والتعليم والمتابعة والتواصل.
لا يزال السبب الرئيسي لدخول أهل اليابان إلى الإسلام كما كان من قبل،
أي الزواج الدولي من المسلمين الوافدين
أو المسلمات الوافدات والأكثرية من طرف النساء اليابانيات
ولكن الفرق والتزايد في عدد من أسلمن دون غرض الزواج
ومن أسلمن بسبب الزواج وصلح إسلامهن بعد ذلك

وبالتالي ازداد عدد الناشطات المندفعات المتعاونات مع بعضهن البعض على البرّ والتقوى.
لعل السبب المساعد الجديد عما كان من قبل
فهو تطور أدوات التواصل من الفيسبوك والتوتّى وما شابه ذلك
حيث روح التعاون والتواصل موجود لدى الأخوات أكثر من الرجال
فتلك ساعدتهن بتكوين فريق عمل دعوي لوجه الله تعالى وذلك بشرى ومبشرات الخير والبركة
لمستقبل الإسلام المنير في اليابان إن شاء الله


كما ألاحظ بفرق كبير بين الحاضر والماضي في نمو وازدهار عدد أولاد المسلمين من الجيل الثاني
ولعل العدد يصل إلى الآلاف فالحاجة والوعي المرافق بها بين المسلمين في اليابان
من أجل تربية وتعليم هؤلاء الأولاد إسلاميا تكبر يوما بعد يوم
والكثير يطالب وينادي إلى بناء وإنشاء مدارس إسلامية وصوتهم ورغبتهم في ذلك أقوى من قبل
ولكن الوعي المطلوب في إعداد المدرسين بتلك المدارس إذا وجدت ما زال ناقصا كما كان

فهذان الأمران الذان لمستهما كفرق مميّز بين الحاضر والماضي والله أعلم وهو المستعان 





بعد إسلامي (1) ورسالة إلى إخوتي العرب イスラーム改宗後のエピソード1



الحمد لله...أول ما ساعدني في استشعار قرب الله تعالى بعد إسلامي
هو نداؤه بسمه تعالى "يا الله" عندما كنت أناديه من قبل
"كاميساما" باللغة اليابانية فجعلت نفسي أردد لفظ الجلال مراراً وتكراراً بدون استشعار قربه وعنايته ومحبته
- لأني كنت حديث العهد بالإسلام!- إذ وجدت نفسي بدأت أشعر بقربه وعنايته ومحبته كلما أناديه بسمه تعالى
فمن هنا بدأت أشعر عظمة أسرار اللغة العربية التي اختارها الله تعالى لغة الوحي لآخر رسالته

حقاً إن اللغة العربية لها أسرار عظيمة لتقرّب دارسيها إلى محبة الله تعالى ودينه القويم بنية التقرب
فحياتي تشهد على ذلك ولله الحمد والشكر
(بالمناسبة، لقد مضى 19 عام منذ إسلامي و18عام منذ بداية دراستي للغة العربية)

فلا أنسى قدر الفرح الذي شعرت به عندما تعلمت مجرد كلمة "هو" حيث المعنى قد صار واضحا عندي لقوله تعالى
"هو الله"...على هذه البساطة ولكن عظيم النفع

فيا أيها الإخوة والأخوات الناطقين باللغة العربية كلغة الأم، هل تعلمون كم محظوظون أنتم وكم منعّمون؟
لديكم كنز الدارين ومفتاح سعادة الدارين منذ الولادة!
فلِمَ لا تنفقون زكاة العلم والعطاء الرباني عبر تعليمها بأيديكم لإخوانكم من عجم؟

アッサラーム アライクム。
 
基本的には日本のイスラームやムスリム同胞に関心を持つ
アラブの同胞へのつぶやきかつメッセージなのですが、
簡単に要約しますと、こんな感じ。
 
私がかれこれ19年前にムスリムになってからというもの
それまで「神様、仏様」と呼んだり認識したりしていたような大いなる存在を
身近に感じるうえで最初に役に立ったのは、
かの御方をその固有名詞「アッラー」というお名前で
ひたすら何度も呼ぶことでした。
繰り返し繰り返し「ヤーアッラー、アッラーよ」と呼びかけることで、
アッラーという異国の神様が
天地万物の創造主、己の主として身近に感じられるようになったわけです。
 
そんなことから、アッラーとその御教えたるイスラームを
もっと身近に感じたいという気持ちでアラビア語を学ぶことが
どんなにその助けになるかを少しずつ確実に感じ入るようになっていきました。
 
最初に学んだアラビア語の代名詞「彼」を意味する「フワ」を知っただけで、
「かれこそは、アッラー」の聖句がわかりどんなに感動したかは忘れ得ぬ思い出です。
 
ということで最後にアラブの同胞への激励となります(笑)
 
アラビア語を母語とする兄弟姉妹諸君、皆さんがどんなに幸運で恵まれているかご存知ですか?
皆さんのもとには生まれながらにしてこの世とあの世の宝が、
永遠の幸せを手に入れる鍵があるのですよ!
 
とやったうえで最後にダメ押しの一言(笑)
 
アラブ以外の同胞のためにアラビア語を教えることで、知識のザカー(浄財)、神授恩恵の還元をしましょうよ!
 

2013年2月3日日曜日

日本語版ハスビー ラッビー  أنشودة حسبي ربّي باللغة اليابانية


 
بسم الله الرحمن الرحيم
「アッラーがいれば、なにもいらない(日本語版ハスビー・ラッビー)
作詞編訳: アブー・ハキーム
 
حَسْبِي رَبِّي جَلَّ الله   مَا في قَلْبِي غَيْرُ الله
ハスビー ラッビー ジャッラッラー 
マー フィー カルビー ガイルッラー
عَلَى الهَادِي صَلَّى الله   لا إِلهَ إلا الله
アラルハーディー サッラッラー 
ラー イラーハ イッラッラー
 
アッラーがいれば なにもいらない
(こころ)(なか)は アッラーだけ
われらが導師(どうし)に 祝福(しゅくふく)
アッラーのほかに (たの)みなし
 
アッラーを()れば すべてが()わる
(こころ)身体(からだ)も ()みわたる
世界(せかい)のみんなに (つた)えよう
ラー イラーハ イッラッラー
 
ハスビー ラッビー ジャッラッラー 
マー フィー カルビー ガイルッラー
アラルハーディー サッラッラー 
ラー イラーハ イッラッラー×3
 
【参考Youtube
イウティサームの「ハスビー ラッビー」
http://www.youtube.com/watch?v=LZuFjRX7n5Q&feature=related
サーミー・ユースフの「ハスビー ラッビー」
http://www.youtube.com/watch?v=2VpAEEkgATs&feature=fvwrel
 
 
الحمد لله...لقد رأيت بركة وتوفيقا من الله تبارك وتعالى لهذه الأنشودة
عندما أرى الأولاد يتفاعلون معها بمحبة واندفاع ذاتي لديهم
وأصل هذه الأنشودة كما تعلمونه أنشودة عربية معروفة "حسبي ربي" وأضفت
على كلماتها ترجمة يابانية وكلمات أخرى وهي تعني كالتالي
 
إذا عرفنا الله سيتغيّر الكل
يصفو عندنا القلب والجسد صفاء على مدى السماء
فلنبلّغ الجميع في العالم
لا إله إلا الله
 
 
أسأل الله تعالى أن يثبتنا على كلمة التوحيد
ويجعلنا من المخلصين الصادقين العاملين لما تحوي هذه الكلمة
 

勇気づけられるハディース حديث نبوي مشجع



アルハムドゥリッラー、親友のターリクさんが
アラブ書道クラスで素晴らしいハディースを教材として扱ってくれました。

イマーム・イブヌ・ハジャル・アルアスカラーニーほかが
教友イブヌ・アッバースさま(アッラーのご満悦あれ)によるハディースとして伝えるところによると、
預言者ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)はこう言われたといいます。
「五つものを、五つのものの前に活かしなさい。
老いの前の若さを。
病の前の健康を。
貧しさの前の豊かさを。
多忙の前の余暇を。
そして死の前の生を。」


スブハーナッラー、このハディース(預言者ムハンマドさまのお言葉)と接するたびに、
2000年の5月初旬に病床でこのハディースを初めて知り、
改めてタラブ・ル・イルム(聖知探求)の志を高めたときのことを懐かしく思い出します。

その年の招待ハッジでもらってきたウイルス性の病気をぶりかえし、
10日間ほどの入院を余儀なくされたころの話ですが、
シリア(主よ、一刻も早くシリアの民をお救いください!)へのイスラーム留学を志す中で
どれほどこのハディースに勇気づけられたことでしょう。

アルハムドゥリッラー、その後もこれを思い出すたびに
迷う気持ちを引き締めてきました。

試練たるこの世に生あるかぎり、迷いはつきものでしょうから
これからもきっとそれを繰り返すことと思います。

願わくはこの珠玉の言葉を、己の血肉として生かし続けられますように。


الحمد لله...لقد اتخذ صديقي وأخي الحبيب طارق هذا الحديث الجميل نصا لدرسه في الخط العربي لليابانيين
وأهداني هذه الصورة - جزاه الله خيرا- ولا أخفيكم أن هذا الحديث الشريف هو من أحب وأعز الأحاديث الشريفة إلي
ولا سيما كانت أول معرفتي به دافعة ومشجّعة كبيرة لطلب العلم عندما كنت مريضا وعلى فراش المشفى لمدة عشرة أيام
بعد عودتي من الحج في تلك السنة
 
أخرج الإمام ابن حجر العسقلاني وغيره عن سيدنا عبد الله بن عباس رضي الله عنه
عن النبي صلى الله عليه وسلم قال
 
اغتنم خمسا قبل خمس
شبابك قبل هرمك
وصحتك قبل سقمك
وغناك قبل فقرك
وفراغك قبل شغلك
وحياتك بعد موتك
 
 
نعم نعم يا رسول الله صلوات ربي وسلامه عليك... كم وكم هي كلمة مشجعة وموقظة من غفلتي
أسأل الله تعالى أن يوصل جمال الإسلام إلى قلوب دارسي الخط العربي من اليابانيين عبر هذه الكلمات النبوية الجميلة
وأن يفرّج أهل سوريا عن كروبهم جزاء الخير لما يبذل أخونا السوري جهده في سبيلك يا أرحم الراحمين

2013年1月25日金曜日

مرحبا بميلاد سيد الأكوان - ربيع الأنوار ようこそ、光の春よ




アルハムドゥリッラー、昨日の夜中(つまり、ヒジュラ暦1434年ラビーウルアウワル月12日夜♪)に初めて見つけたこの作品。

スンナ派イスラームを代表する素晴らしいウラマーゥ(学者先生たち)の言葉は、預言者ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)への祝福を祈る美しいナシード(宗教歌)とともに、僕の胸中でかの人への愛を新たにし、強めてくれた。

まだよく校正を繰り返せてはいない試訳ではあるが、感謝の気持ちをこめてこの作品の日本語訳を以下に記したい。

スブハーナッラー、アルジェリアでの事件は実に悲しく、犠牲者には冥福を祈り、ご遺族にはお悔やみを申し上げることしかできないが、間接的に僕にできそうなこと、いや今後もさらに気を引き締めて努めたいと思うのは、愛と感謝、謙虚さに基づく正しいイスラームを伝えていくことである。

報道では「イスラムの過激派」とある犯人たちテロリストは、イスラームの名を語るに値しない狂人でしかない。

一体どうやったら勘違い甚だしい狂人テロリストを根絶やしにできるのだろうか…「裁きはアッラーのみに与えられし特権」なのに、自分が不信仰者と見下した相手がアッラーのお導きによって自分よりもよっぽど素晴らしい信徒となるやもしれないのに、あるいは相手がイスラームを批判するのは、自分のムスリムとしての努力と振る舞いが至らないかもしれないのに、一体どんな大義名分をもって一線を越えられるのか・・・。
(僕自身彼らをテロリストと断罪しているのは同じだが、それが命を軽んじることにはつながらない。罪を憎んで、人を憎まずだ)

イスラームを伝え、イスラームを誰よりも知り、誰よりも理解し、誰よりも忠実に体現した預言者ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)は、
「全世界、あらゆるものへの慈悲」として遣わされたお人である。

ムスリムを名乗るなら、至高のアッラーがもっとも愛されるかの人の名を汚すようなことをしてはなるまい…。


********************** 日本語訳(試訳) ********************

アリー・ジュムア師(エジプトのムフティー)
世界東西のイスラーム共同体の一員たるムスリムの皆さん
クッル アーミン ワ アントゥム ビハイル。皆さんが毎年健やかでありますように。
私たちは今、最も光り輝く(アンワル)ラビーウ月、最初の(アウワル)ラビーウ月にあります。
選ばれし預言者さま、選良たる愛すべき人(アッラーの祝福と平安あれ)がお生まれになった月です。
それは全世界にとっても新時代の到来を告げる出来事でした。


ムハンマド・サイード・ラマダーン・アルブーティー博士(シリア)
ラビーウ・ル・アウワル月は、我々にいつも選ばれし人ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)のご生誕を思い出させてくれます。
かの人はその日、サウム(断食・斎戒)をされたと真正な伝承により伝えられています。
その理由について尋ねられると、かの人は言われました。



アルハビーブ・ウマル・ブン・ハフィーズ師(イエメン)
「それは私が生まれた日なのです。」


アリー・ジュムア師
つまり、かの人はその日を祝っておられたというわけです。
それゆえウラマーゥ(学者たち)はここから預言者ムハンマドさまご生誕を祝うことの合法性を導き出しています。
むしろ中には、例えばイブン・アルハーッジなどは「マドハル(入口)」という書において、「預言者生誕を祝うことは、我らが預言者(アッラーの祝福と平安あれ)への愛と尊敬の念を高める上で何よりも推奨されしこと、何よりも(そうした敬愛の念を)守ってくれるもの」とみなしております。


アルハビーブ・ウマル師
我々はこのラビーウルアウワル月を迎えるにあたって、預言者ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)がそれとともに遣わされた「幸せな人生」をその日夜を通して誠実な気持ちで望むべきでしょう。
そして我々を生かしてくれる、かの人の呼びかけに応えるべきでしょう。


アルハビーブ・アリー・アルジフリー師(イエメン)
かの人がお生まれになった日の前夜の偉大さを表すエピソードについては、預言者伝の中などで真正な伝承、良好な伝承、あるいは弱き伝承とされるものでも十分に参考典拠とされうる伝承などを通して語られています。
それらは皆、やがてお迎えになる出来事の前兆を様々なかたちで伝えているのです。


アリー・ジュムア師
かの人が…アッラーの祝福と平安あれ…お生まれになったのは月曜日、その日のファジュルでした。
太陽の日差しが世界に降り注がれるときにお生まれになったかの人…まさにかの人ご自身が世界にとっての太陽となったのです。


アルハビーブ・ウマル師
「言いなさい。もしあなたたちがアッラーを愛しているというのなら、わたしに従いなさい、と。そうすればアッラーはあなたたちを愛してくださり、あなたたちの罪を赦してくださるでしょう。」
至高のアッラーはそう仰せられております。
願わくは我々がかの御方アッラー、かの御方に愛されれば、この世とあの世の善良なるものすべてが得られ、すべての災いをはねのけてもらえる御方の愛にあずかれますように
かの御方~至高にして荘厳なる御方~は、そのようにして愛する者を扱われるのです。


アルブーティー博士
イスラームをして預言者ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)のご生誕を祝うことを奨励させるもの、それは愛です。
かの人(アッラーの祝福と平安あれ)への愛の大きさに応じて
信徒たる者はかの人を思い起こさせることがあるたびに(思い起こさせる風が流れてくるたびに)、かの人(アッラーの祝福と平安あれ)への憧憬の念を高めるはずなのです。


アルハビーブ・アリー師
かの人(アッラーの祝福と平安あれ)がお生まれになった前夜、
世界ではいわゆる世界の均衡、パワーバランスを覆す前兆が起こりました。
ペルシア(ファーリス)の地でアッラーのほかに崇められていた火が突如消え、14の尖塔がアヌーシュルワーン帝の城から崩れ落ちたのです。


アルブーティー博士
時間の価値というのは、場所の価値と同じです。
アッラーの御使い(アッラーの祝福と平安あれ)がお生まれになった日という時間は、今をさかのぼり、さらにさかのぼり、まさにお生まれになったその日へと至ります。
かの人(アッラーの祝福と平安あれ)がお生まれになったその月もしかりです。
それゆえかの人(アッラーの祝福と平安あれ)がお生まれになったその時間は、我々の内側でかの人の思い出の香りを漂わせるべきなのです。


アルハビーブ・アリー師
もしわたしたちの心がかの人(アッラーの祝福と平安あれ)につながることができたなら、かの人に祝福をたくさん祈り、かの人のスンナ(道、生き方)を大切にし、かの人のウンマ(すなわち世界)へ尽くすことの誠実な意味を感じるでしょう。
いわばそれは私たちの心の中でのかの人の新しいご生誕であり、かくして繰り返し新たにお生まれになり、かの人の光は私たちの心で生き続けることとなるのです。


アルハビーブ・ウマル師
この高貴な月において我々は我々の信仰をもってして、かの人(アッラーの祝福と平安あれ)の呼びかけに応えることでかの人(アッラーの祝福と平安あれ)との絆をしかと持ちましょう。それこそが我々の心と魂の命、高尚な命なのです。


アリー・ジュムア師
かの人(アッラーの祝福と平安あれ)が二つのうち一つを選ぶときは、きまってより容易いほうを選ばれたものです。「わたしは贈与されし慈悲なのです」とはかの人(アッラーの祝福と平安あれ)ご自身のお言葉であり、至高のアッラーはかの人(アッラーの祝福と平安あれ)を言い表し、『われは汝をあらゆるものへの慈悲としてしか遣わしはしなかった』と仰せられています。


アルハビーブ・アリー師
このラビーウルアウワル月を迎えるにあたって、かの人(アッラーの祝福と平安あれ)への祝福祈願を日課としましょう。たくさんかの人(アッラーの祝福と平安あれ)に祝福を祈りましょう。イマーム・アッサハーウィーは預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)への祝福祈願についての書をまとめ、「愛すべき執り成し手への祝福祈願についての至言」で最低限のたくさんとは一日に少なくとも300回はかの人(アッラーの祝福と平安あれ)に祝福を祈ることだと言っておられます。
ラビーウルアウワルですよ!一日に100回くらい祝福を祈ることはできるでしょう(笑)
大事なのはかの人(アッラーの祝福と平安あれ)への祝福祈願を日課とすることです(笑)
かの人のシャマーイル(人となりについて)の書を読みましょう。
スィーラ(伝記)を、かの人の性格について、かの人のハサーイス(特別な事柄)についての書を読みましょう。かの人にアッラーの祝福と平安あれ。
私たちに必要なのは、心の中でかの人(アッラーの祝福と平安あれ)についての認識を新たにすることなのです。


アリー・ジュムア師
預言者さまを心から愛しましょう。かの人にアッラーの祝福と平安あれ。
彼こそがアッラーへと至る私たちにとっての門なのです。そして皆さんの子どもたちにもアッラーの御使いへの愛を教えましょう。かの人にアッラーの祝福と平安あれ。


アルハビーブ・ウマル師
アッラーよ、どうか我々にそうした生き方を整えてください。我々をしてそうした成功と救済へと歩ませてください。我々をどうかあなたの敬虔なしもべたち、正しく導き、導かれし者たちの一員としてください。どうかかの人のウンマの諸事を正し、不注意から目を覚まさせてください。そしてかの人との絆を強くし、彼らの足元をかの人の歩みで盤石のものとし、かの人への愛で心を満たしてください。そうして我々を皆かの人の一党に入れ、かの人のおそばで甦らせてください。慈悲深き者の中でももっとも慈悲深き御方よ、あなたのお慈悲によってお願いいたします。


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ヤー ナビー サラーム アライカ
預言者よ、あなたに平安あれ

ヤー ラスール サラーム アライカ
使徒よ、あなたに平安あれ

ヤー ハビーブ サラーム アライカ
愛する人よ、あなたに平安あれ

サラワートッラーヒ アライカ~♪
アッラーの平安があなたにありますように~♪


皆さんにアッラーのご加護と祝福を。
アハマド