2013年4月30日火曜日

【昔の日記】2000年5月下旬シリア到着後まもなくの日記

アッサラーム アライクム。
以下、2000年5月下旬にシリアのダマスカスに着いて数日後の日記です。
スブハーナッラー、あのシリアが今や内戦で悲惨な状況にあるとは、穏やかだった日々を思い出す度に信じられない気持ちになります…主よ、一刻も早くシリアの人たちが安寧を取り戻せますようお助けください。

****** 転記 ******


慈悲深き慈愛あまねくアッラーの御名において

2000年5月30日(火曜日)シリア・ダマスカスにて

 アルハムドゥリッラー、25日(木曜日)にダマスカスに着いてから、もう5日目になる。ジャバさんの伯母さん宅でお世話になっているわけだが、ほとんど不自由なく居候させていただいている。本当なら一度大掃除でもしたいのだが、掃除機もないところで余分な体力を使うのもどうかと、結局は面倒臭がっている自分とで何とか折り合いを付けているといったところか…。
 ジャバさん一家をはじめ(特にMさん)、伯母さんには本当によくしていただいている。結構お年を召されていて、あれこれ動くのは大変なはずなのに、食事、洗濯とお世話になりっぱなしだ。(いつでも自分で全部する心づもりはあるのだが、何も言わずにやって下さっているのでつい甘えてしまっているようである。)願わくは、お優しいアッラーが彼女に溢れんばかりの報奨をお与え下さいますよう心から祈りたい。

 さて、まずはこうしてイスラームをきちんと勉強する機会を与えてくださったお優しいアッラーに感謝しよう。思えば14歳の頃、結局は断念したが、一度は本気で出家を志してから、丸10年の歳月が経とうとしているわけだ。
 森羅万象を司る真理真実が知りたい、という純粋な知的好奇心に突き動かされて、悟りを目指して日々学びの道を歩むことに憧れた当時の自分だったが、七転八倒の紆余曲折の後に、どうやら再び僕はまた己の原点に戻ってきたようである。
 真理なる御方が自らを表現されることで始まった世界のうちに完成されたイスラームを学ぶ、人類への導きとして確立された壮大かつ深淵なるイスラームを学ぶことは、先が見えないけれども強烈に惹かれた悟りへの旅路に似て魅力的である。
 ただ一つ大きな違いがあるとすれば、原点回帰した現時点での僕の足元には「アッラーのほかに如何なるチカラも存在せず、我々はかれのもとより来たりて、かれのもとに帰り行く」という「悟り」の土台があることであろう。チカラそのものになるための歩みではなく、チカラの一部を享受し、それを還元するための歩みとでも言えようか…。願わくは、至高なるアッラーが僕に初志貫徹し得るだけの強さをお与え下さいますように。

 正直なところ、「少しでも時間を有効に」と思う気持ちが強いことから、少々焦り気味の日々を送っていると言ってもいいかも知れない。時間を惜しむ気持ちは大切だと思うが、惜しみ過ぎて緊張の糸をいつも張り詰めていては身体が持たないだろうから、もう少し気長に構えた方がいいのだろう。「石の上にも三年」、「継続は力なり」をモットーにこつこつと積み重ねの勉強をしていくしかあるまい。
インナッラーハ マアッサービリーン(アッラーは耐え忍ぶ者たちと共におわします)。



経過報告…2000年5月27日、28日、30日―タジュウィード各1時間
(A.J先生)



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