アッサラーム アライクム。
以下、2005年9月12日に書いた「2005.9.11」というタイトルの日記です。
******* 転記 ******
世界の一部の人たちが、4年前の惨事で亡くなった故人たちの冥福を祈り、悲しみに涙する一方で、同じ世界のまたほかの一部の人たちが、新たな家庭の誕生を祝う結婚披露宴で新郎と新婦の前途祝福を祈り、喜びに涙する機会に同席した。
シリアでも名家とみなされる学者一家の結びつき、新郎新婦二人とも聖なるイスラーム学の学徒ということで、大勢のウラマーゥ(学者先生たち)が出席した披露宴であった。もちろん、結婚披露宴といってもムスリムのそれと欧米風、あるいは日本風のそれとは全然違う。男は男で、女は女で祝いの席を別に設け(そのほうが邪まな感情は入り込まない)、男たちの席ではインシャードといったいわゆる宗教歌(アッラーと預言者さまを讃美する歌の数々)に耳を傾け、しばらくした後に学者先生たちのお話に耳を傾けるというものである。(その間、飲み物やお菓子が運ばれるが、会食がメインというわけではなく、あくまでもおめでたい席で共に信仰を一新する機会といった観が強い。)
テスト勉強で忙しくしていなければいけないはずの僕も、まずは招待に応じるという預言者さまのスンナ(慣行)のつもりで、そして普段はお会いできないような大物揃いの学者先生たちを「見ることで」刺激を受け、お話に耳と心を傾けることで、知的心的向上を望んだからの出席であった。
ところがそこで、思わぬ試練と出くわすこととなる。
その名家のお屋敷に着いて間もないころ、会場の隅っこのほうで座っていると、失礼なお手伝いの人間から、「あなたはドクトール(博士)ですか?」と聞かれたことがあった。
そこで「いえ、ドクトールではありません。」と答えると、あからさまに「じゃあ用なしだ」といった素振りをされたため、「ムスリムにドクトールもくそもないだろ!アッラーの御許で最も尊いのは、最も敬虔な者のはずだ!」と怒り心頭。<`ヘ´>
かなり気分を害されたが、ぐっとこらえて「忍耐は最初が肝心(最初の衝撃のときにこそ、その真価を発揮)」という預言者さま(祝福と平安あれ)のお言葉を何度も心の中で繰り返しつつ、「でも屈辱を感じるのは、僕が驕っている証拠。本当に自分はなんでもないと分かっていたら、どんなに無礼な振る舞いも屈辱とは思わないはずだ…」と大いに反省させられたのであった。(>_<)
では辛い思いをし、反省させられただけの出席だったかといえば、そうではない。
إنّ مع العسر يسرا
「インナ・マア=ル=ウスリ・ユスラー(苦難とともに、安楽はあり)」とアッラーの御言葉にもあるように、お優しきアッラーはしもべの脆い心を美しいカスィーダ(アラビア語の詩)の一節で癒してくださったのである。
おまえの存在を楽にしてやれ
もろもろの存在を気にすることから
そしておまえの主に帰るがよい
過去についても 未来についても
أرح وجودك من همّ الوجودات
وارجع إلى ربك عن ماض وعن آت
まるでアッラーが僕のためにその詩を聞かせてくれているかのようで、全身を揺さぶるアラビア語特有の美しい響きとともに、僕の心にはその詩の魂が沁みわたってゆくのだった…。
そう、アッラーがいてくだされば、
ほかには何もいらない。
だれもかれも、すべては消えうせるが、
アッラーだけは永遠に生き続けられるのだ。
しもべの胸中を知り尽くされる御方、
アッラーにこそすべての称讃あれ。
そして、至高にして誰よりもお優しきアッラーに想いを寄せるすべての人たちに、祝福とお導きがありますように。
0 件のコメント:
コメントを投稿